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宥座の器について考える・・・
宥座の器(宥坐の器か)について初めて読んだのは、おそらく30年近く前の毎日新聞のコラム余禄であったと思う。宥は右と同じ意味で、座右の銘という言葉のもとになったといわれる。

書き出しは確か「その器は真っ直ぐではなく傾けて置かれてあった・・・」孔子の逸話である。

空では傾いた器が中程まで水が入ればまっすぐ立ち、満水になると没する。

弟子に試させるとなるほどその通りであった器から、孔子が中庸の大切さを諭したと言われる。

もっともそのコラムが載った日から新聞週間だったので、新聞もこうでなければならないと最後は結んでいたように記憶している。


それ以来、時々このコラムのことを思い出す時、自分なりにこの宥座の器とは「深い井戸から水を汲むときの道具」だろうと思っていた。

今から2000年も前の時代、井戸から水を汲むときは長い紐の先に何かの容器を付けておろしていった。

容器が水面につけば傾いた容器に水が入り真っ直ぐになる。もちろんそれ以上入れば没する。

そして引き上げてくるときは真っ直ぐで水がこぼれない。そんな器が当然あっただろうなーと、漠然と考えていたのだ。


しかし。。。。。。


震災以降、「足るを知る」という論説をよく目にするようになった。

「足るを知る」と言えば「中庸」かな。「中庸」と言えば、そうそう宥座の器の逸話。

もうちょっと知りたいことがあり、初めて宥座の器をネットで検索してみてちょっと驚いた。

検索上位に出ている宥座の器は今まで思っていたものとは全く違うもの。


上から吊るされた器にいっぱいに水を入れると覆る。

それを実際に製作した方もおられる。


うーん、考えてしまう。

なぜこんなものが作られていたか。まるで中庸を教えるための教材じゃないですか。

これじゃあ孔子の出る幕が無いような・・・。

生活の雑器の中から生きるための道、中庸を説いたから後まで残る話になったんじゃ無いだろうか。


と言っても、あくまで個人的な考えです。考えるだけで調べようもない。

大きな図書館も無いし、教えを乞う術もない。

ただ、ネットで検索した上位を何件か見ただけですが、いずれこういったものが疑問もなく受け入れられるのかと思うと歯がゆい気もしますね。

まあ私はこれからもいろいろ考えてみようと思います。




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